甲南大学パワハラの記録

パワハラを容認する今の甲南大学が、生まれ変われますように

甲南大学パワハラの記録⑥-ドラマのような世界

パワハラに遭って思うこと:

 

20年以上パワハラ行為を続けている人の心理は何だろう。何故パワハラ行為を止められないのだろう。パワハラに遭って真剣に考えるようになりました。

世の中には色んな人がいます。そして、人の根本的な性質を他人が変えることは、勿論不可能です。パワハラ行為をする人は、他人を傷つけてエネルギーを得る人です。パワハラされた被害者が怯えるのを見て快感を感じる人です。常に自分だけが正しく、相手は愚かで悪者です。治らない病気の一種だそうです。

しかし、いくらパワハラ行為を続ける人でも、その人の根本的な性質や考えは変わらなくても、処分の厳格化や周りの反応によって、ある程度パワハラ行為を抑止できる効果はあると考えます。実際、20年の間、学校や組合に報告したり(2007)、労働基準監督署に通報したり(2015)、裁判を起こしてくれた(2016)非常勤先生のお陰で、以前より(特にパワハラ裁判以降)K教授のパワハラの頻度(パワハラ内容はともかく)が徐々に減ったのは事実です。

パワハラされても「この教授に目を付けられたら、仕事もらえなくなるから、辛抱するしかない」と、只々耐えていては、改善の余地がありません。それ以前に、こういう弱い者虐めを生き甲斐としている人が、20年以上教壇に立って、学生たちを指導する立場にあるという現状を嘆かないといけないと思います。

ところで、現実はそうでないことに無力感を感じます。

世の中は、「正義(パワハラを報告する、パワハラ調査に応じる)より、「権力と自分の利益(自分の授業数を守るためにパワハラ教授側に立って嘘の証言をする、パワハラを見て見ぬふりをする)」優先です。

「正義」の定義って人の数ほどあると言うので、もし「私にとって正義は仕事を守ることだ」と言われればそれまでですが...

 

それぞれ置かれた立場が違うから、パワハラ教授側に立って嘘の証言をした人やパワハラ調査に協力してもらえない人を理解すべきだと言われたりします。理解しようと努力はしていますが、やはり理解に苦しみます...こういう人もいるんだーと、深く考えないようにしています。

偉そうに!!と思われると思いますが、私たちは教育に携わっている者です。いくら非常勤でも、教壇に立って、これから世の中を引っ張っていく若者を指導する立場にある、教育従事者です。ハラスメントが蔓延る現状を、黙って見なかったことにする訳にはいきません。

 

ドラマのような世界が現実に広がっていることに、虚しさを感じる日々です。